*ヘンデルのメサイアについて
ヘンデルが作曲したオラトリオ『メサイア』は、イエス・キリストの生涯をもとに独唱曲・重唱曲・合唱曲 (全53曲)で構成されています。
イエスの生涯は新約聖書にしか書かれていませんが、旧約聖書と新約聖書の深いつながりは、キリスト教信者が良く知り得ていることであり、メサイアのテキストには旧約聖書の福音からの引用も多数見られます。
1741年、受難週間演奏会のためにヘンデルの友人であるチャールズ・ジェネンズはメサイアの台本を書きました。その後、アイルランドで慈善事業としてのオラトリオ演奏会の計画が立てられ、そこにヘンデルが招聘されました。
ヘンデルはこの日の演奏会のためにジェネンズの台本によるオラトリオの作曲を始めます。ジェネンズの台本に心酔したヘンデルは、演奏時間が2時間にも及ぶメサイアを1741年8月22日から9月14日までのわずか24日間で書き上げたのでした。
『メサイア』はダブリンで1742年4月13日に初演され、熱狂をもって迎えられます。その後、ヘンデルはメサイアを何度も改訂・再演を繰り返し、現在用いられる楽譜にはいくつかの版が存在します。
1743年、初めてロンドンでメサイアが演奏された際、時の国王ジョージ2世が「ハレルヤ」の演奏中、感激して起立しました。それに従い聴衆も総立ちになったというエピソードは有名です。日本でもメサイアのコンサートにおいて「ハレルヤ」になると聴衆が立ち上がる習慣は、このエピソードがもとになっています。
*メサイアこぼれ話
小屋敷 真
オラトリオ『メサイア』が生まれて300年。以来、世界中の人々を魅了し続け、愛されてきた名曲。メサイアが現在でも多く
の人々に歌い継がれている理由を追ってみようと思います。
◇メサイアはキリストの一生を音楽であらわしていますが、その内容はバッハのように緻密で厳かな雰囲気ではありません。ヘンデルの音楽は聴く者に親しく語りかけ、あるいは問いかけ、神の恵みを共に喜び、感謝するという風に曲が進んで行きます。なんとなく全体に「私たちは神様に守られている」という安心感に満たされているような気がします。
これはキリスト教信者の生き方に通じるところがあります。このようなアプローチが多くの人々の共感を呼び、心をとらえるのだと私は思っています。ヘンデルとバッハは同じドイツ生まれ、プロテスタントの信者で誕生年も同じですが、同じ時期にこのような偉大な作曲家が二人現れたというのはまさに奇跡としか言いようがありません。
メサイアは当初、教会で演奏されることはありませんでした。なぜならヘンデルは教会専属の作曲家ではなく劇場の作曲家であったからです。もともとオペラが専門だった彼はメサイアも劇場で演奏しました。ですから聴衆は教会の中のように静かにしている必要はありませんでした。まるで実況中継のように劇的な音楽で繰り広げられるキリストの生涯。聴衆はきっと手に汗握りながら聴いたのではないかと思います。
このメサイアの娯楽性は、ほかのオラトリオと全く違うところでしょう。当時、教会が「神を劇場に持ち込んだ」と、メサイアを快く思っていなかったという話もうなずけます。
メサイアで特筆したいのは、演奏がしやすいということです。
合唱は音が取りやすく、少ない練習でもすぐにその効果を得ることが出来ます。さらに練習を進めていくと美しいメサイアの音楽にどんどん引き込まれていきます。こうした毎回のメサイアの練習はとても楽しくやりがいのあるものです。
オーケストラの多様性もあげられます。
メサイアの伴奏オケは合唱団の規模によって編成を大きくも小さくも出来ます。しかし、どんな編成でもちゃんとヘンデルのメサイアになるのですから偉大な作品ですね!
ヘンデルはよく演奏旅行に出かけていましたが、メサイアの公演が大成功をおさめると、メサイアの楽譜の入ったカバンをひっさげて各都市をまわりました。その土地土地にはオーケストラ、ソリスト、合唱団が存在していましたが、場所によってそれぞれ得意不得意がありました。ヘンデルはその都度、ソリストやオーケストラが演奏しやすいように楽譜を書き換え、その土地に合った公演を繰り広げました。公演が終わると書き加えた楽譜は整理もせずに同じカバンへ突っ込みまた旅を続けます。同じ曲でも、いくつもバージョンが存在するメサイア!これが、のちのメサイア研究者を大いに悩ませることになります。今回の海老名公演で使われるノヴェロ版の楽譜は、そんなメサイア研究者達が出した最終的な答え(決定版)で、現在最も信頼されている版になります。